日々と記録

読書歴5年、月20冊。 読むことと書くことが、毎日の楽しみ。 本と暮らすライター。

一日の終わり、夜の読書の愉しみ

朝のうちに済ませてしまおうかと思った仕事がなかなか捗らず、結局、一日中終始座ったままとなってしまった。連日の作業で腰を痛める。一旦納期が完了したけれど、年末までの納期を乗り越えようと思う。

 

子供たちと年越しまでに家に寝かせておいたままのものを5つ手放してみようと決める。言語が発達し、語ることになったように、最近文学を読んでいると、感慨深くなる。リズムも美しくて明晰に読める。なにを話すかは、自ら生まれてくる秘める思いをうまく組み合わせて繋いで、伝えていくものなのだな、と。

 

 

最近はいつでも写真を撮り、当たり前のように記録に残せるけれど、目の前にしか見えない景色の美しさがあるのだなと思う。好きな作家たちが手を動かして形に残した文学、絵画のように、見ているだけで、なんとも言えない混じり気のある味わい深い感情が押し寄せてくる。携帯のデータ、本、生活道具など、やむやみに蓄積されていくのだけはやめようかと思う。直接目で見た美しい光景は、細部まで記していかなきゃな、と改めて思う。

 

 

 

今日の夜は、リルケを思い出して読む。

 

 

 

 

 

芸術作品においては、すべての部分が同じように美しくなければならず、どの部分も目立ってはならない。もしそのようなことがあれば、芸術作品として純粹ではないし、厳密に言えば芸術作品ではなくなってしまう。この立像は、個別的な美が見出されないにもかかわらず、というよりは、まさに見出されないために、素晴らしい印象を与えたのである。このことが今はっきりと意識されたのだった。しかし、この印象はこれまで美しいものや文学作品からうけていたものとは異なっている。それは——こんな表現を使ってよいとすれば「 普過的、神秘的で、解き難い謎を秘めており、心の中にしみ通るほど力強い。その根源はより高く遠いところにあるのだ。美は、高貴なものであり、それを把握し表現するのは、悦楽の対象となる個々の事物よりはるかに難しい。そして美は偉大な心情の中にあり、それが人々にも伝えられて、偉大なものを創り出す—ライナー・マリア・リルケ富士川英郎訳「芸術と人生」より

 

 

 

 

 

 

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